代表者プロフィール

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渡辺 芳夫
Yoshio,Watanabe
1962年 大阪市 出身

渡辺会計事務所 代表

公認会計士(1989年登録)
  日本公認会計士協会 近畿会 所属
税理士(1996年登録)
  近畿税理士会 北支部 所属

1985年より、大手監査法人にて会計監査や株式公開業務などに従事。

1992年 公認会計士・税理士・弁護士の共同事務所に転職。
 ・法人・個人事業者を対象とした税務・会計業務
 ・節税対策などのコンサルティング業務  などに従事。

1996年 渡辺会計事務所を設立し、現在に至る。


連絡先:E-Mail : houjinka@watanabe-kaikei.com
     Tel   : 06−6123−7079

渡辺の自己紹介です / その1.

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はじめまして。
渡辺会計事務所の渡辺です。

自己紹介をさせていただきます。
生い立ちみたいな部分もありますが、どうか、お付き合い下さい。


私は、1962年7月生まれ、大阪市の出身です。
32歳まで、ずっと大阪市内で過ごしました。
もう、骨の髄まで、コッテコテの大阪のオッサンです。

現在は、兵庫県西宮市に住み着いております。


私の実家は、住宅内装関連の物販店を営んでいました。
俗に言う ”浪花の商人(あきんど)” です。
「まいど!」、「儲かりまっか!」、「ボチボチでんな。」云々。
漫才のセリフのような挨拶を、毎日、耳にしながら育ちました。

特に裕福な家ではなかったのですが、なぜか、近所の人から ”ぼんぼん” と呼ばれてました。
きっと、ボ〜ッとした子供だったんでしょう。
少し内気で照れ屋な美少年でした。(自称)


学生時代は、どちらかというと、あまり目立たない生徒だったと思います。
今でも、あまり目立つほうではないですが・・・。

お勉強は、あまり好きではなく、成績も中途半端なレベルでした。
授業中に居眠りしたり、内職したりで、よく先生に怒られてました。
授業中は、ちゃんと聞いていないのに、試験では、それなりに点をとる。
いませんでしたか? そんな、教師に最も嫌われるタイプの生徒。
そんなヤツでした。

本が好きで、特に中学から大学2年まで、手当たり次第に読んでいた気がします。
最も印象に残った本は、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」かな。
ただ、聞かれるたびに答えが変わると、知人からは言われます。
「坂の上の雲です。」と真顔で答えるのが、何故だか照れくさいのです。
同じく司馬さんの「燃えよ剣」も好きな作品です。


スポーツは下手の横好きです。
歯医者で運動神経を抜かれたクチです。

ちなみに、ゴルフはしません。というか、やめました。
長年にわたり、お金と時間を注ぎ込みましたが、スコアが・・・(悲)。
使ったお金と時間は学習費と割り切って、キッパリやめました。


お酒は好きです。何でも飲みます。
皆でワイワイ言って飲む酒は、旨し!
あっ、酒癖は悪くないですよ。
酔っぱらうと、ニコニコ(へらへら?)笑ってるそうです。


最近はまっているのは、”お笑い”です。
「大阪人が今さら何を?」と思われるでしょうが、子供のころから”お笑い”が身近すぎて、お金を払ってまで観に行く、という習慣がなかったのですね。
劇場に足を運ぶようになったのは、4,5年前からです。

お勧めの芸人さんは、漫才コンビ”矢野・兵動”の兵動大樹さん。
”兵動大樹のおしゃべり大好き”というトークライブは、毎回、楽しみにしています。
劇場で、ヘラヘラ笑ってるオッサンを見かけたら、それは私の可能性が高い。


オッサン、特に大阪のオッサンといえば、”おやじギャグ”。
さすがの私も、仕事の席では慎みます。
ただ、仕事であっても、お話の席が和んだ空気になることもあります。
そんな時、つい出てしまいます。
”思わず笑ってしまう人”より、”固まってしまう人”のほうが多いようです。(悲)

なかには、”お付き合い”で笑ってくださる人も、いらっしゃいます。
「やさしい人だな。」と嬉しくなります。
相手は、ただ迷惑なだけでしょうが・・・。

私の”おやじギャグ”に接する機会がありましたら、優しい微笑みを!
どうぞ宜しくお願いします。

渡辺の自己紹介です / その2.

1981年(昭和56年)の春、大学に進学しました。
この時の私は、特に明確な将来設計を持っていたわけではありません。
というか、何にも考えていませんでした。

お気楽な毎日だったと思います。
授業には出席していましたが、お遊びとアルバイトに明け暮れていました。

アルバイトは高校時代もしていました。
校則でバイトは禁止だった気もしますが・・・もう時効ですね。(笑)

高校時代、熱心にしたバイトは、甲子園球場でのビール売りです。
当時、生ビールはなくて、350ミリの缶ビールのみでした。
これと、乾きモノ(おつまみ)が商材です。
2ダース入りのケースを首から提げると、ズッシリときます。
「ビールいかがですか〜っ!」と叫びながら、スタンドを売り歩きます。

完全歩合性だったので、自分の工夫と努力で稼ぎが変わります。
最初の頃は何も考えず、ただスタンドの階段を昇る降りするのみ。
疲れるだけで、ビールの売れ行きは、思うように伸びません。
だんだんと、効率の良い周り方が分かってきます。
あの辺りが売れそうだ、といった勘も働くようになります。
こうなると、徐々に売上が伸び、自分の稼ぎも増えてきます。

自分の工夫と努力に結果がついてくる。
しんどい仕事にも関わらず、長続きした理由でしょう。
たまに、スタンドで知人に出くわして、赤面したこともありましたが。

仕事が終わると、自分の稼ぎを受け取って、同僚と焼き肉屋に直行です。
汚いお店でしたが、肉体労働の後の焼き肉は旨かった!
ビールは、・・・飲んでなかったことにします。
なんせ、高校生ですから。

いまの甲子園球場は、女の子の売り子が多くて、当時とは様変わりです。
私がやってた頃は、女子は皆無だったと思います。
女っ気もなく、汗と、焼き肉の脂にまみれた青春でした。


大学生になると、いろんな世界を経験したくて、それに応じてバイト先も変えました。
飲食店から、小売業、サービス業、配送、工事現場の警備員などなど。

ホテルでルームメイクの仕事をしたときの話です。
この時、ペアを組んだのが、60絡みのオバちゃん。
このオバちゃん、なぜか仕事中、ず〜っと「カモメの水兵さん」の鼻歌を歌い続けます。
帰宅後も、「カモメの水兵さん」が頭の中でグルグル回って、眠れなかった経験があります。

大学時代、仕事そのものが楽しかったバイト、というのは思い浮かびません。
ただ、バイト仲間や先輩など、友人関係が広がったのが貴重でした。
クラブに入っていなかったので、大学時代の友人は、殆どがバイトで知り合った人達です。
みんな色んな学校の学生達で、年齢もマチマチです。
なかには、おっちゃんもいました。
人生の良き師匠でしたよ。
良いことも、そうでないことも、色々と教わりました。


大学の2年生も後半になると、周りは就職について真剣に考え出します。
私は、「大手企業に就職できれば良いな〜。」と呑気なもんでした。
特にコネもなく、自力で就職先を見つける必要がありました。

当時は就職氷河期。
なかなか内定をもらえない先輩達を見ていると、さすがに焦りました。
名のある企業は相手にしてくれない、という現実を知りました。
そうなって初めて、将来のことを真剣に考えるようになりました。
(遅いっちゅうねん!)


” 蔵のうちの宝は尽きるとも、身のうちの宝は尽きず。”
当時、母が、よく口にした言葉です。

公認会計士になろう。

唐突に思いついたわけでは、ありません。
ずっと、興味はもっていました。
専門家に対する憧れもありました。

ただ、憧れてはいたものの、自分の学力を考えて、二の足を踏んでいました。
大手企業が相手にしてくれないんなら、自分の憧れを実現しよう。
そう決心して、大学3年の秋から受験勉強に突入しました。

自分のオツムの出来は期待してなかったので、死ぬほど勉強しました。
それまでの人生で、最も勉強した時期でした。
ただし、受験勉強というのは、ただの ” お勉強 ” ですが。


人間やれば出来るもんです。
奇跡的に?、公認会計士の第2次試験(当時)に合格しました。
1985年(昭和60年)夏のことでした。
無茶苦茶に嬉しかったと同時に、武者震いが出ました。

渡辺の自己紹介です / その3.

私は、英語が苦手です。
ある程度の読み書きはできますが、会話は無理。
話せるのは、大阪弁だけです。(笑)

そんな状態にもかかわらず、外資系の監査法人に就職しました。
理由は、給料が高かったから。
仕事は厳しいけれど、給料は高い。
欲に目が眩んだわけです。
当時23歳。
何とかなるやろ!というノリだったんでしょう。

ちなみに、監査法人とは、会計監査を業務の柱とする法人のことです。
上場企業(株式公開企業)は、会計監査を受けることを、法律で義務づけられています。
勤務先のお客様には、外資系企業の日本法人も数多くありました。
また、業種も、商社、製造、流通や金融業と、幅広く揃っていました。

良き先輩に恵まれたおかげで、仕事の厳しさには、すぐに慣れました。
逆に、毎日、仕事が楽しくて仕方ないくらいでした。
日々、仕事を通して吸収する知識や経験が、新鮮だったこと。
砂を噛むような試験勉強と、生きた企業を相手にする実務との違いでしょう。
悔しい思い、不甲斐ない思いも味わいましたが、充実していました。

英語には、最後まで苦労しましたが・・・。

入社して最初の頃は、先輩のお尻にくっついて、お客様を回ります。
仕事も、先輩に指示された作業をこなすだけ。
徐々に責任のある仕事を任されるようになります。
そして、3年も経てば、今度は現場を任される立場になります。
この頃からが、最も仕事が面白くなる時期です。


入社から5年ほど経った頃でしょうか。
今までの充実感とは違う何か、を感じるようになりました。
仕事が辛くなったわけでも、飽きたわけでもありません。
28〜29歳の頃だったと思います。

勤務先の方針に対する違和感もありました。
上司の要求を全うすることが、必ずしも、お客様のためになるわけではない、と感じていました。
以前の勤務先についての、ネガティブな記述は、やめておきます。

”会計監査は、本当に自分がやりたかった仕事なのか?”
そういう思いが徐々に強くなってきました。
自分が選んだ仕事だろう! と言われれば、それまでです。
そう、私が決めた道です。

結局、違和感は日増しに大きくなり、悩んだ末に、監査法人を退職しました。
7年間、多くのことを学ばせてもらった職場です。
良き先輩や同僚達に恵まれました。
会計専門家として、貴重な基礎を築かせてもらった職場でした。

当時30歳になっていましたが、結婚もせず独り者だったことも、決断がブレなかった要因だったと思います。


その後の方向性は、決まっていました。

中小事業者に良質な会計サービスを提供する。
お客様が笑顔に、そして元気になるサービスを提供する。
お客様と共に成長する。

良きナビゲーターになりたい。
これが、当時、ボンヤリと抱いていた理想です。

退職後は、個人経営の会計事務所にて、税務関係に磨きをかけました。
中小事業者の経理や税務申告。節税対策などのコンサルティング業務。
相続や贈与、事業承継に関するコンサルティングや税務申告など。
この事務所は、弁護士との共同事務所だったゆえ、それまで経験したことのない業務も経験させてもらいました。

自分の理想とする方向性を意識しつつ、毎日の業務に取り組みました。
監査法人の頃とは違い、顧客との距離感もグッと近づきます。
お客様の反応が、ダイレクトに伝わってきます。


当初より、独立を意識していました。
最後は、自分の足で歩いてみよう、ということです。

転職先では、4年間お世話になりました。
この間に結婚し、現在は、子供も授かりました。
独立するに際しては、この点で、悩みました。
この先、家族を養っていけるんだろうか?

何とかなるやろ!

これで踏ん切りました。
私が重大な決心をするとき、結論は、いつもこれです。
あれこれ悩んだのは、いったい何だったんだろう、と思います。
楽天家では決してない、つもりなんですが。


合計11年間の勤務時代に培った、仕事への取り組み方、経験は、今も私の貴重な財産です。
これを糧に、自分の理想とする会計専門家へ近づけるよう、精進していきます。

長々と書き綴りましたが、渡辺という人間を、少しでも分かっていただければ幸いです。
ここまでお付き合いいただき、本当に、ありがとうございました。